2018年10月27日土曜日

怪談本『恐い間取り』の感想

事故物件怪談 恐い間取り
怪談本を珍しく買ってみた。怪談本は小学生のときに読んだレストランシリーズ以来かも。基本的にホラーは苦手だけど、夏にたまたまつけたラジオで筆者の松原タニシが語っていた怪談を聴いて面白かったのがきっかけで興味を持ち、購入。

読んだ感想。
個人的にそんなに怖い話はなかった。なぜなら、創作ではなく実体験(に近い)話なので、オチが用意されていたりもせず、「なぜそこでそういった現象が起こるのか」「その場所にどんな由来があるのか」「その後どうなったのか」など知りたくても説明が少なく、全容が解明されないため、どれも読んだ後釈然としないから。

そもそもこういう怪談本に、科学的な説明を求めてはいけないのかもしれないけど、気になってもやもやする。

よく考えたら、「怖い」という感情は「得体が知れないもの」に対して生まれるものであって、「科学的に解明されなくて、もやもやするから面白くない」と言うのはナンセンスかもしれない。
大人になって思考能力が上がった結果、私は怖い話が楽しめなくなってしまったみたい。
ただし、血まみれとか怖い顔や突然飛び出して来るものに対する恐怖はなくなっていないので、ホラー作品は文章はOKでも映像物はまだNGだ。

30%ぐらい読むともう筆者自身が体験した話は終わって筆者が周りの人から聞いた色んな物件の体験談になっていて、「オイオイ大丈夫かこれ?最後の30%とか対談だったりしないかこれ?よくこれで本出そうと思ったな」と思わされるw(目次が最初に出てくるからそんなことはないw)
あと、間取りの図がおかしい物が結構ある。浴室やバルコニーの戸が描かれておらず、「どうやって入るんだこれ?」と疑問が浮かんで別の意味で怖い。素人が図を作成したのかなと思う。
タイトルにも入っている「間取り」の図がキンドルで読んでいると小さくて、一々拡大して観ないと分かりにくいのはもったいない。

読んでいて気付いたが、筆者の松原タニシ自身は本当にヤバそうな物件(住んだ住人が突然自殺する部屋とか)に引っ越そうとするときに限って都合が合わず物件が借りられない(回避)ということがあるようで、運が良いようだ。神がかっているなと思う。もしかして守護霊の力が強いとかかもしれないw

読んでると結構「この話物件関係なくね?」と言いたくなるただの怪談+その怪談を語ってくれた人の住んでる部屋の間取り(事故物件ではない)や、ひどい物になると、図がもはや間取りではなくただの地図になっている話も載っている。「恐い間取り」というくくりなんだから、そこんとこしっかりしてほしい。
ただの怪談なら別の本として出してほしいと思った。

2018年9月9日日曜日

‪映画・聲の形を観た感想

映画・聲の形をNetflixで観た。
ちょっと前にテレビでやってたときに、「そういえばまだ観てないから観てみるか」と思って、観た。
他にもやることがあったので5回ぐらいに分けてちょっとずつ観たけど、この作品は情報量が多いけど、入浴中とかに振り返って整理できたので、結果5回ぐらいに分けて観てちょうど良かったw
しかし、観るのを中断してから次観始めるまで考えずにはいられないし、続きが気になりすぎたので、結果良い作品だったというかめっちゃ好きだったんだなと思う。

上映してた頃は、自分はまだこういう人間関係がごたごたしてるやつとか、重いテーマの作品を観て「良いな」と思える段階じゃなかった気がするので、今観て丁度良かったかも。
その頃の自分だったら、「この人は良い人だけど、この人は悪い人だな」とか極端に考えちゃってたかもだけど、今観たらみんな好きだなと思えたし、みんな良い部分も悪い部分もあって、人間だなーと思った。

山田監督の映画は、構図とか演出がミュージックビデオみたいだなと思ってるけど、そのおかげで障害とかいじめとかの重くなりがちなシーンもポップになって観やすかったかも。
ただ、シリアスなシーンはちゃんとシリアスしてたと思う。

2018年7月3日火曜日

メロンソーダ

先日、彼氏と一緒に外出してる時に私がメロンソーダを飲んでたら、彼氏に
「舌が緑色になってるよ。写真撮ってあげようか?」
と言われて
「えー…」
と一瞬迷ったけど、彼氏の方から進んで私の写真を撮ってくれるなんて珍しいし嬉しかったので、
「いいよ」
と言った。
なんというか、片思いじゃないけど私の方が一方的に彼氏を好きというか、彼氏からあんまりベタベタしてこないというか、好き度のバランスがつりあってないんだよなー。結婚もまだまだなんだよなー。
だからこういうことがたまにあるとめっちゃ嬉しいんだよなー。 

2018年6月2日土曜日

哲学のイメージ

前に、ask.fmで誰かに「哲学に興味ありますか?」と質問されて「ない」とだけ答えたけど、
その後ずっと考えてて、ていうか答えるときにも考えてたけど、

哲学って「大昔のギリシャ人が仕事を全部奴隷に任せて自分は暇で暇でしょうがなくなったからやり始めた学問」っていうイメージがあるから、私は暇じゃないし哲学やる余裕は全くないし興味もないな。
でも現代は、奴隷やら召使いやらいないのに哲学やってる人が世の中にいるのって不思議だなー。色々犠牲にしてやってんのかなー?

と思ったけど、これはいま哲学をやってる人に言ったら怒るだろうなーと思う。

いまWikipediaで調べたら、哲学とは「古代ギリシアでは学問一般を意味し、」と書いてあったので、あ、私学校ですでに哲学を履修済みだったか。国語とか数学とか理科とかも多分哲学だったんだな、と思った。哲学って意味わからんポエムを言うやつ(哲学的とかいうやつ)だけが哲学かと思ってたわ。

…ハッ!ということは、人間がAIやらロボットやらに仕事を全部任せられる時代が来たら、再び哲学が流行るヨカーン!!